[ブラック国家]ブラック企業が多い原因は学校と部活では?[ブラック部活]

今の日本では右を向いても左を向いてもブラック企業だらけです。

時間外労働に対する割増賃金や有給休暇の取得は、労働基準法という法令で定められた労働者の「権利」です。

しかし実際には、権利を行使しない人が多いので、残業代を法令通りの基準でちゃんともらっていたり、有給休暇を完全消化している人などほとんどいないでしょう。特権階級であるタックスイーターの公務員を除いて、ですが。

ブラック企業が成立してしまうのは、働く側の労働者が無給でのサービス残業に応じてしまったり、有給の取得を躊躇うからです。もちろん、企業の労基法違反を取り締まらない労基署や警察も悪いですが、そもそもサービス残業に応じる社員がいなければブラック企業など存在しようがありません。

給料も出ないのに働く方も悪ければ、それを美徳とする風潮もどうかしています。自分はそれで満足なのかもしれませんが、タダ働きをしてくれる企業奴隷がいるせいで、真っ当に権利を主張すると白い目で見られたり暗黙のプレッシャーを掛けられたりするのですから、日本がブラックなのは企業ではなく国民そのもの、国家そのものです。

どうしてこうなってしまっているのか?

どうして事態が改善しないのか?

それを考えてみた時に、私は「学校と部活動が原因ではないか?」と思い至りました。

生産性よりも態度や同質性が問われる

義務教育を受けない人はほとんどいませんし、多くの人は高校までは卒業しています。小中高で12年間もかけて洗脳された教育の効果は恐ろしく、その人の性格自体にまで染み込んでしまっていることが多いです。

で、学校教育について考えてみると、日本の学校では生産性よりも態度や同質性が評価されている事に気付かされます。

例えばその日の数学の授業の目標が「2次曲線を描けるようになること」だったとします。

理解が早くて10分で描けるようになった生徒は、もう目標は達成したのですから、図書室に行って他の勉強や読書をしてもよいでしょうし、教室内で他の勉強をしても良いハズです。

大量の練習問題を出す先生や塾もありますが、既に出来る事を何度繰り返しても、解答を書く手が疲れるだけで時間の無駄です。練習が必要なのは「まだ習得していない者」だけです。

しかし、皆さんも御存知の通り、現実の学校ではそれは許されません。授業中は背筋を伸ばして先生の話を聞いていなければならず、自分の課題が終わっても他の事をしていると叱られたりします。

既に自分の課題は終わらせているのに、時間まではただ我慢して教室にいなければならないのですから、生徒が学ぶのは「自分のやりたい事を押し殺し、周囲のペースや誰かが決めたルールに盲目的に従うこと」です。

大人の社会で問われるのは生産性であって、納期までに十分なクオリティの商品(サービスも含みます)が提供されれば、それ以外の時間は何をしていても良いハズです。

人間が新しい着想や発想を思い付くのは、好きな事をしている時か、余裕をもってリラックスして過ごしている時なのですから、学校として求める最低ラインの生産性=学力さえ身に付いたなら、後は「他人の権利を侵害しない範囲において」自由にさせた方が良いでしょう。

学力が非常に高い学校の方が、むしろ校則が緩やかで、生徒が授業をサボって喫茶店にいても、教員側も目くじらを立てて叱るような事はなかったりします。

逆に学力が低い学校ほど、校則で生徒を縛り、繁華街を教員が見回ったりしていますが、規制を強めた方が生産性=学力が上がるなら、刑務所が最も生産性が高くなるはずです。もちろん、そんな事は起こりません。

会社にしても、自由な雰囲気の中で意欲を持って働ける会社の方が社員の定着率も高く、仕事に対するモチベーションも高いものです。

NAVERでまとめが出来ているくらいなので知っている人も多いと思いますが、このサイトにたどり着くような人は「理不尽な事には耐えられない!」と考えている人が多いでしょうから、サラリーマンとして生計を立てたいならこういう企業を探しましょうというお話をします。日本一休みが多い会社未来工業という会社があります。残念ながら創業者の山田昭男氏は去年の7月に亡くなってしまいましたが、彼が遺してくれた物は本当に大切なものばかりだと思います。「日本一休みが多い会社」「創業以来赤字なし」未来工業の創業者死去さて、この...

人間には「自分は間違っていない」と思い込みたがる正常化バイアスと呼ばれる力が働きますので、学校の校則や厳しい指導に我慢して従ってきた人ほど、自分が会社に入って上司になると部下にもルールの徹底や我慢を強制しがちです。労働基準法は守りませんけど(笑)

厄介なのは体育会系部活出身者

学校教育を受けているだけでも、日本の教育を受けた子どもは権力者には盲目的に従い、自分の頭では考えず、周囲の雰囲気や空気を察して動くようになってしまいがちですが、それに拍車を掛けているのが体育会系部活、いわゆる運動部の出身者ではないでしょうか?

もちろん、運動部の出身者であっても知性的でバランスの取れた方も数多くいらっしゃいますが、「気合・根性・熱意」あたりの感情的なフレーズを連発し、「言われなくても自ら動け」と嘯く一方で「勝手な事をするな」などと矛盾した事を平然と言ってしまう人は大抵体育会系部活の出身者ではないでしょうか?

多くの運動部では、上下関係が厳しく、先輩がシロだと言ったらクロでもシロだと答えなくてはなりません。未だに顧問やコーチからの体罰も根絶されていませんし、先輩が後輩を「シゴく」ような悪習が残っている部活も少なくありません。

論理的に考えてみれば、年長者に一定の敬意を払うという問題と、年長者の言う事には盲目的に従うべきかどうかという問題は全くの別問題です。

先輩が明らかに不合理な要求をしてきたら「それは不合理なのでやりません」とか「こういう練習方法の方がいいのでは?」というように、人間としては対等であるという立場で議論や交渉をするべきなのですが、運動部でこのようなやり取りが成立することはまずないでしょう。

もし上下関係が厳しくなく、誰もが対等な立場で切磋琢磨出来るような運動部に在籍した経験があるのであれば、それは偶然先輩達がまともだったか、余程優秀な顧問やコーチがいたかのどちらかです。私が知る限りにおいては、そのような幸運な運動部出身者は滅多にいません。

顧問がそもそもプロじゃない

多くの運動部では、顧問の先生が熱心に指導をしています。

いわゆる強豪校と呼ばれるような学校では、プロのコーチを雇って指導させている所もありますが、ここで大きな問題が発生しています。

顧問教諭のほとんどはそのスポーツの指導のプロではありませんし、プロの外部コーチはプロの教員ではないという問題です。

学校の教員になるには、教員免許の資格取得が必要ですが、教員免許の資格を取る時に「部活動の指導力」などという評価項目はありません。

中にはインハイやインカレで活躍したレベルの教員もいますが、本人の競技スキルが高いことと、指導が真っ当でバランスの取れたものであるかどうかは別問題です。野球でも「名選手は必ずしも名監督ならず」と言いますよね。

というワケで、時代に合ったスポーツの指導法を学んできていない顧問教諭が独自の指導法で過剰に熱心に指導したり、生徒指導を学んでいない外部コーチが生活指導の側面は無視して勝利至上主義の指導をしたりします。

スポーツクラブならば指導に不満があれば他のクラブに異動するという選択肢がありますが、学校の部活では指導に不満があっても辞めるか我慢するかの二択しかありません。結果として、体育会系部活を最後まで続けた人々というのは「不満があっても我慢するという選択をし続けた人」が多いという事になります。

先生にとってもブラック部活

指導に熱心な先生達は、自分の趣味でやっているからまだマシとして(本当は顧問の趣味に巻き込まれる生徒が被害者ですが)実際には部活の指導を負担に感じている先生達も少なくありません。

日本の教員はなぜ世界一多忙なのか?—強制される「自主的な活動」

世界最長の勤務時間

日本の教員が悲鳴を上げている。早朝から夜遅くまで、さらには土日まで出勤し、十分に休みをとることもなく、また新しい週が始まっていく。

経済協力開発機構(OECD)が世界34の国・地域の中学校教員を対象に行った「国際教員指導環境調査」(日本では2013年2月~3月に実施)によると、日本の教員の勤務時間は、調査した34の国・地域の中で最長であった。

最長となった理由は、授業時間数の長さではない。授業に費やした時間は、調査参加国・地域の平均を下回っている。日本の教員は会議や授業準備など複数の項目で、他の国・地域の教員と比べて時間を長く使っている。とりわけ顕著なのは、課外活動に費やす時間の長さである(図1参照)。

肝心の授業準備をする時間がありません

日本特有の「部活動」

学校が授業前後の時間帯や週末に、生徒のスポーツや文化活動に積極的に携わるのは、世界的に見て珍しい。授業以外のスポーツ活動がどこで行われているかを示した国際比較調査(表1参照)によると、日本を含むアジアの各国では、学校でスポーツ活動が実施されているが、他の多くの国では、コミュニティにあるクラブが青少年のスポーツ活動を支えている。

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ほぼ全ての学校に部活があるのは日本だけです

先生達も部活動が負担だと思うなら顧問なんか辞めてしまえば良いのですが、そこはブラック国家ニホンの事ですから、顧問をやりたくないと言うと

「やりたがっている生徒がいるのに見放すのか」

「他の先生は頑張っているのに自分だけ楽をしようというのか?」

というような、どこかで聞いた事があるようなフレーズと共に影に日向に批判を受け、多くの学校では「部活動の指導は労働ではなく教員の自発的な教育活動」という位置付けのまま顧問業務を強制されているのが現状です。

それでも拒否すべきなのですが、学校の先生になるような人々は、学生時代は真面目に学校のルールに従って生きてきたタイプが多いですから、「他の先生達も頑張っているのに、自分だけ辞めるという訳にもいかない…」というような、100%感情的な思考によって負担を感じながらも顧問を続ける事になります。

これがまたよくありません。

子供達にとっては、学校の先生というのは親以外の大人の中で最も一緒に過ごす時間が長い存在ですから、先生を通して大人の社会を理解します。

指導が熱心であれ義務感から嫌々やっているのであれ、生徒が部活動顧問の仕事ぶりを見て学ぶのは「義務ではなくてもずっと続けてきた事は続けなくてはならない」とか「先生は平日も夜遅くまで部活の面倒を見てくれて、日曜祝日も返上して頑張ってくれた」というような事柄です。

結果として、生徒達が卒業して大人になった時に、会社の業務量が多過ぎて過労に陥る環境であっても「仕事だから辛くても続けなければならない」とか、「仕事に対する熱意があれば休日返上で頑張るべきだ」というような誤った価値観を持ってしまいやすいのです。

別に好きでやっているなら止めはしませんし、バブル期のように「忙しいけどその分給与に反映された」というのであれば構いませんが、今のブラック企業の実態は「本来ならば人を増やして対応しなければならない業務量を、リストラと非正規化で減らした分数が減った正社員のサービス残業で支えている」という異常な状態です。

オマケに有給すらまともに取得できない会社ばかりなのですから、日本では生産性の向上が見込まれません。何しろ「遅くまで頑張っている奴の方が偉い」という価値観を部活動によって刷り込まれている人ばかりですから。

教育に力を入れない国は滅びる

アベノミクスによって、年金基金を株式相場に突っ込み、見せかけの株高だけは演出し続けていますが、実質賃金も一人あたりのGDPも下がり続けており、もはや後進国に片足を突っ込んでいる状態です。

名目GDPだけは「研究開発費もGDPに算入する」というトリックで増えているように見せかけていますが、以前は計算に入れていなかったのですから、GDPも実際には落ち続けています。

それもその筈。教育への公的支出はOECD諸国の中で余裕の最下位です。

教育への公的支出、日本また最下位 12年OECD調査

経済協力開発機構(OECD)は24日、2012年の加盟各国の国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出の割合を公表した。日本は3.5%で比較可能な32カ国中、スロバキアと並び最下位だった。OECD平均は4.7%。

学校の部活はなくして地域でやれ!

私もこう見えて?運動部の出身で、とあるスポーツで中学時代は東京都3位になった事もあるのですが、それでもあえて言いたいと思います。

学校での部活動は禁止して、スポーツも文化系の活動も地域のコミュニティでやれ!

学校は勉学を学ぶ所で良いですし、おかしな先生も沢山いますから、必要以上に長時間過ごすメリットもありません。15時か15時半に授業が終わったら強制下校で部活動は一律禁止した方が良いです。

そうすれば、先生達も翌日の授業準備がしっかり出来て授業が少しはマシになるでしょうし、生徒にとってもクラス内の人間関係をスポーツや文化系の活動に持ち込まずに済むようになります。

スポーツがやりたいなら地域のクラブやスポーツクラブに入れば良いですし、文化系の活動がしたいならそういうサークルに参加した方が、学校や世代を超えた関係が築けて有益でしょう。

運動部出身者には受け入れがたい話かもしれませんが、スポーツをいくらやった所で、プロになってエンターテイメントの世界で生きるレベルにならない限りは、そんなものはタダの趣味です。趣味は自分の責任で自腹で行えば良いのであって、誰かの犠牲を前提とした趣味なんて認める必要はありません。

私には学校関係者の知り合いが多いのですが、運動部を熱心に指導している顧問教員の家庭は、相当高い確率で家庭が崩壊しています。離婚歴がある教員も多いですね。

仕事でもないのに平日も遅く、日曜祝日も練習や試合の引率で家におらず、長期休暇は合宿と試合でやっぱりいないのですから、円満な家庭を築くのは至難の業でしょう。

甲子園の常連校の監督が以前TVで次のような事を言っていました。

「野球部の指導に没頭した教員人生で、家庭を省みる余裕はなかったが、家族はきっと理解してくれていると思う」

いやいや、理解したのではなく諦めただけでしょう?

この監督にも息子がいるようでしたが、他人の子供を世話ばかりして自分の息子と向かい合う時間も取って来なかったのでは、本人は満足でも家族にとってはただの父親不在の家庭でしょう?

私は、家庭を犠牲にしてまで働いている人の事を尊敬しません。

自分の家族すら大切に出来ない人間が、他人を大切に出来るなどとは思いません。

だから私は、今日も定時に帰ります。うちの職場は36協定すら結んでないので、残業代が出ないどころか残業していない事にされますからね。

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